この一年必要とされ続けた。
まず入社する時に考えていた事は、
信頼を得る・今の給料を増やす・自分が教えるダンスクラブを作るだった。
入社してすぐに考えたことは、
この立場を奪う・元気一杯の明るさで周りが接しやすいキャラクターでいる・空気や自分の立ち位置が分かるまでイエスマンになる。
指導をやる上で気をつけていたことは、
どんなに細かいことでもクラスの先生、特に担任とダイレクターに伝える・安全な指導・子どもが私を好きになる様にする・子ども大人共に信頼関係をつくる・怒らない・感情を荒ぶらせない。
最初に自分の振る舞いを確定させたのは第1回目のリーグ。◯◯先生がゲームに細かくて厄介になるだろうと分かっていて、懸念を上司に伝えていたら「とにかくやってみよう」と流されてその日を迎えた。
案の定不安に思っていた通りの状況になり、1回目のリーグはなぁなぁに終わった。その日の昼にルームで隠れて泣いた。
どうなるか分かっていたのに上司の言葉を受け取り何もしなかった為に、想定通りの結果になった。リーグに対する先生達の印象はきっと…ふわふわ・悪い・良くないで始まっただろうと感じた、それによってリーグに対する気持ちは薄れるんじゃないかと思って泣いた。
分かっていたのにという言葉は言い訳にしかならない状況に自分でしたから悔しくて泣いた。
だから二度と後悔はしないと決めた。
2度目に振る舞いを決めたのは運動会。
そろそろ準備を始めてもいいんじゃないかと思う時期に上司から何も言われなかった。だから自発的に動き出したら、自分が運動会の中心になっていった。上司は他人事の様に感じたからなおさら1人でもやろうと躍起になった。
すべてのクラスをみていたから必然的に私が全クラスの状況を把握し、アドバイスをした。始めてで型が決まっていない運動会をスポーツ担当者の情報と自分の記憶で作り上げた。
キャパオーバーは必至では?
上司がやったことと言えば場所取りとランチとプログラムと保護者への配布物。それらすらほころびがある仕事振り。
『◯◯先生(私)は理解してくれている』これは上司自身を守る言葉でしかない。理解してくれてるので「ダメだと分かっていてもこのままでいる猶予はある」と勘違いしている。
決してこのままで良いとは思ってないが、"いずれ"どうにかしようと思っている。"とにかくやってみよう" "初めてなんだからやってみて学べばいい"は、やる事をやっている人の言葉であり、言い訳のための言葉ではない。その場しのぎでしかない行動・言動は教育現場に不適切だ。
決定的なのはこの2つだが、小さなほころびは100を超える程あった。
それらから感じる事は、
自分は幼児体育指導がこの学校の中ではうまい方。
イベントで人をまとめる勉強もしてる。
園長の信頼を得たので言い辛い意見や感情を直接話せる。
h30.3.6現在こう思っている。
知り合いが言っていた、自分が一番上に立ってしまったからきっとつまらなくなるだろうと。
一年後そう思ってない事を願う。
そうならない様に行動し続けていきたい。
来年度の目標は、
後輩育成・
運動会の成長と成功・
ダンスクラブの能力的成長と発表会の成功・
職場環境の改善