教師と生徒の関係とは、親子に似たところがあると思っている。子どもは成長の途中であり、感情のコントロールや意思決定に未熟な部分が現れるもので、そのような子どもをいかに導くかを考えるのが親の仕事であると考える。教師と生徒では、それが家族の中で育まれている愛情ではなく、社会を小さくしたような世界である学校の中で育まれる親しみ、あるいは友情についての情という違いがあるだけで、いかにして導くかという仕事には変わりないと思う。
頭ごなしに叱りつける、暴力で抑制する、脅しとしか取れないような条件を突きつけるなど、その行為が生徒にとってどのような意味を持つのかを考えると、マイナスな事柄しか浮かばない。
やってはいけない事と理解させるなど、親が子どもを叱るときには必ず意味がある。一時の感情の高ぶりで子どもに酷い対応をしてしまうような大人は、その部分が未熟であるのだとしか思えない。
子どもにとって全てが成長に繋がる時間であるなら、大人は休んでいる時間などない。疲れていたからやった、などは甘い考えなのだと思う。
子どもの成長、教育には体罰的な行為が必要だと考えてしまう時点で、その者は未熟であり軽薄であると私は考える。