今日初めて、
「はっきりとした死ぬ夢」
をみた。
目を覚ますと病院へ向かっていた。
周囲には何人かの知り合い達。
病室に着くと、顔見知りの医者が微笑みながら迎え入れてくれた。これから死ぬのが自分でもわかっていたけど、医者が不安な色を全く含まない顔で迎えてくれたから、不思議と恐怖がなかった。
病院の簡易ベットに寝かされると、
周りには大学の友達、職場のスタッフ、親友達がいた。彼らはみんな悲しい顔をしていて、涙を隠しながら笑顔を向けてくれた。
私は心から相手を笑顔にしたいと思う気持ちと、
感謝の気持ちがいっぱいで、
自分には不安な気持ちが一切なく、笑顔を向けることができていた。
悲しんでくれてありがとう。
別れ際に駆けつけてくれてありがとう。
仲良くしてくれてありがとう。
これからも頑張ってね。
そんな感謝の気持ちが胸いっぱいだった。
あー、死ぬなと思った間際に、
3人と話した。
Rなちゃん、Yかちゃん、Yりちゃん。
ありがとう、ありがとう、ありがとうと伝えた。
最後の人と話してる時に目を閉じて逝ってしまった。
目を閉じると走馬灯が走った。
けど、それは全部知らない女の人の、日常を切り取った様な場面場面だった。
違うけどなぁ、まぁいっか。
と思ったが、違和感が嫌だったので強制的に起きて、忍たまのPixivを漁って忘れようと頑張りました。
逝ってから少し経つと目が覚めていたので、忍たまからは夢ではなく現実です。
すごく不思議な夢だった。
死因は分からないけど、皮膚が張り、硬くなり焼いた後に乾いた餅のような感触だった。
夢の中で、
爬虫類みたいだよ!見て見て!って、乳首を隠して上半身を皆んなに見せていたのを覚えている。
起きてから気づいたが、死ぬ間際に家族はいなかった。
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私はこの世に生きるということは、自分で選んでここにいるんだと思っている。
自分はこうしてみたいとか、
こうなってみたいとかを思って、
この世に生まれることを"選んだ"と。
"ただ漠然とここに在る"より凄くいい。
自分の選択でここに在るなら、
なんて自由だろうか。
そこに制限などない。
法律は何故あるのか。
この世に生きてる人たちが大人数だからだ。
もし私一人なら法律は無い。
好きなように食べ、
好きなだけ寝て、
好きなことをやるだろう。
いつしか太りはじめたり、
体調を崩しはじめて気づくんだ。
不摂生だったと。
だから自分ルールを作り始めるだろう。
それが法律のようなものになる。
この世の中で、"法律"は自分を律する事もするし、自分を守ってくれる事でもある。
大人数と共存する為にはある程度のルールが必要だから守らなくてはいけない。
誰かが破りはじめたら破綻してしまう。
極論で言えば守らなくてもいいかもしれない。
でも、イージーモードのゲームほどつまらないものはないのだ。
ある程度ルールがあるとそれは刺激になる。
法律が刺激だというわけじゃないよ?
自分ルールが刺激になるんだよ。
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夢の中で私は、
感謝の中で逝くことができた。
それはとても幸福な感情だった。
死も恐怖ではなかった。
看護師の表情、
ベットを囲う友人達、
とても温かい気持ちになった。
本当に死ぬ時も、そんな感覚になれるよう、
そういう自分で在る様、精進したいと思った。
ありがとうございます。
頑張りましょう。