今年は手を出さないでいる期間と、
口や手を出す期間とはっっきり分けた。
手を出さない期間中、節目がきたら共有しようと思っていた改善点を紙に書き溜めていたんだけど、みるみる改善されていく。
各先生が、やっていくうちにどうすれば子どもに伝わるのか、どんな状態が良いのかを見つけ出して指導に落とし込んでいっていた。
それが面白くて楽しかった。
"私ならこうする"という考えを心にしまって見守っていたら、思わぬ形でそうなっていったから本当に驚きで楽しかった。うちの先生方はこんなに立派なんだなぁとワクワクした。
もちろん改善されなかったり、
第三者の感想を求めなかったり、
遠回りand悪化もあったけど、
そういう案件には根回しした。
感想や協力を仰げないタイプって勝手に潰れていくよな。
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運動会期間のレッスンが実は一番ストレスフル。自分が指導しないで、他人の指導を延々とみ続けるから。
もっとこうすれば…とか、
意図は何だ?…とか、
この時間何?…とか、
伝え方悪…とか。
楽しい人、学びのある人ももちろんいて、そーゆー人のレッスンは不思議と笑顔になって自分も参加してる。
大人も巻き込める雰囲気作れる先生は最高だなと思う。
運動会期間て、先生方のスキルと性格がありありとみえる。
基本、私に遠慮したり伺い立てる人と一緒に指導するのは楽しくない。自信の無さが見え隠れ。逆に気を使うわ。子どもメインなのに何故大人へ気を使わにゃならんのか。
だったら一緒にやらんでその辺に居たらええと思う。だから自分もはっきりそうされなければ、サポートに徹する。
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だから考えた。
そうまでして各クラスの先生が指導する意味は何だ?と。
一体感を出すためだ。
自分のクラス、縦割りカラーが一致団結するためだと思った。
一年目、全部の競技私が担当して一部を除いてワンマンだった。練習期間中、何故みんな他人事なんだ?と悩んだのを今でも覚えている。
だから、分かる。自分が当事者にならなきゃ想いが込められないということを。
自分が主になって指導すれば、想いが作られ、更に子どもに影響を与えられる。
それがクラスの一体感となり、全体が一体となり結果として、素敵な運動会となる。
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1年目に他園の運動会をみて衝撃を受けた。
3年後はうちもこうなってやるからなと密かに思った。
ご覧ください。
今のうちの園を。