きっかけは「決算!忠臣蔵」という映画。
今までの自分の歴史観を振り返る。
飽きる。
漫画「あおざくら」4巻までの無料サービスを読む。
過去の日本軍と今の自衛隊について興味を持つ。
アニメ「Gate」のまとめ動画を懐かしむ。
ガールズ&パンツァーを少し見て興味を持つ。
桜花…特攻機のアニメMAD?をみて泣きじゃくる。BGMが「春よ、来い」という…何度見ても泣く。
なんかまとめたくなる。←イマココ
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だいたいいつもこんな流れで、きっかけは映画なことが多い。
武士の献立/日本の一番長い日/俺は、君のためにこそ死ににいく/のぼうの城/プライベートライアン
歴史的に注目される事柄をテーマにしたもの、侍・戦争をピックアップし、あるポイントにフォーカスしたものなど、考えるきっかけにするにはたくさんの映画がある。
良い悪い・正しい間違いではなく、
考えるきっかけとなる事が大切なんだと最近よく思う。
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なぜかといえば、極論、
他人と分かり合えることはできないのだと思うから。
元々持っている、あるいは培ってきた経験知識をもとに各人の考えがあり、全く同じ人生を通ってきた者がいないから。
りんごを見て、
赤いと思うか、紅と思うか、
美味しそうと思うか、空腹を感じるか、
丸いと思うか、硬いと思うか…
第一印象に何を思うかは人それぞれであることからも、私はそう思う。
全く同じ考え・感覚は無い。
だからといって敵対し合うものだとは思わない。同じものはないのだが、似たようなものはあるからだ。
共感することはできる。
他人は他人だと理解しているものは、共感の時に相手を尊重するだろう。
他人は他人だと理解していないものは、共感の時に押し付けたり・敵か味方かを確認するだろう。
私はこの感覚を今、味わっている。
この人は他人と自分の位置関係をどのように持っているだろうかと、推し量ることにハマっている。これが正しいかどうかは今のところわからないが、間違いなく考えるきっかけではある。
◆
私が芸術と幼児体育に目標を絞った際、何のプロになるのかを考えた。以下当時まとめた事。
気付かせる事のプロとは?
”気付く”プロセスを私が理解すれば全てを教えられとは思わない。
”気付く”とは…
1 それまで気にとめていなかったところに注意が向いて、物事の存在や状態を知る。気がつく。
↑辞書引用
「気付き」とは「知識・理解」に近いものです。「知識・理解」と異なる点は、「気付き」が対象へ主体的に関わる具体的な活動や体験を通して生まれてくるというところです。言い換えると、与えられた知識や理解ではなく、自らの思いや願いをもって活動や体験を通し、そこで実感を伴って「分かる」ことや「得られるもの」ということです。
また、「気付き」には、知的な側面だけではなく、情意的な側面も含まれています。「気付き」は「思考・表現」を経て明らかになる。明らかになった「気付き」から次の活動への意欲をもったり、対象への関わり方を考えたり、新たな「気付き」を見つけたりなどの、他の観点との繋がりがあると考えます。
言い換えると、気付きは、「対象に関わり、思考した結果、自ら分かった・捉えた、得た事」と考えられます。
https://www.saga-ed.jp/kenkyu/kenkyu_chousa/h22/09_seikatu/kiduki.htm 引用
気付きは今でも大切にしていて、第三者が言葉や絵で教えるよりも自身が学ぶことの威力の差よ。
だから私は体験させる。
身体をもって、
感情をもって、
思考をもって体験させる。
いいことも悪いことも簡単なことも大変なことも辛いことも全部体験させる。
その結果、私が得た感覚と、
私の教え子達が得た感覚とは全くの別物なのだ。
だから何を感じたかを共有させていただく。
あぁ、君はそう感じたのか…
その背景にはこんなものがあるのかなぁと考えるのもまた私の楽しみである。
それが私の情緒を豊かにするきっかけにもなる。
◆
気付くという事は、
考えるきっかけとなると思うのだ。
思考を停止させる事は、平穏な毎日を過ごす目的には最適だと思う。
考えるきっかけを得る事は、毎日に少しの刺激を得るのに最適だと思う。
私はこのどちらも好きで、織り交ぜて過ごしている。やりすぎても疲れてしまうので。それができる今は平和で幸せだと思うのはまた別の話。
自分にとって幸せな人生を追求する事は、私にとって思考停止フォルダ ➖ 私は考えなくてもできるから。
自分以外にとってよりよいものを追求する事は、私にとって考えるきっかけフォルダ ➖ 考えないと出来ないから。
◆最後のまとめとして…
もし、
平穏な毎日を過ごす以外のものを求めるなら、
考えるきっかけを探せば良いと思う。
そこで何を感じ、思ったのかを共有する人を探せば良いと思う。
他人に共有した結果、また新しいきっかけをもら得るかもしれないのだと思う。
また、もし指導者であるなら、
体験させ…最後まで見守りきる技術と覚悟、豊かな情緒を鍛えるのが義務だと思う。
己を磨き続けられない者は指導者になるべきではないと、私は感じる。
それが修行で総合すれば人生となる。
難しい事はない。
春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪さえて すずしかりけり
目の前にあるものを目にいれて、当たり前とせず心で受け止める情緒を持てば良い。その尊さを心に感じ、愛おしめば良い。
そして指導の対象者を見た時に、尊敬の念を持てば良い。そうすれば自ずと、自分を省みて技術を磨こうと思えるだろうから。