YouTubeまわしてたらたどり着いたこの人は今日初めて見たけど楽しめた。私の中の"あの頃"を表現するのに分かりやすかった。
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私は小学・中学生の頃の記憶が思い出で、
好きなんだけど、モー娘やら羞恥心やらJpopは全く刺さらず興味がなかった。周囲の人はたくさんの歌を知っていてみんなで楽しそうに歌ってた。
それに焦りもなく、家族も私と同じような感じだったから全く違和感もなかった。
その頃は福岡にいて、山の中で遊んでいた。東京よりは自然が多くあったなと今思う。
学校が終わったらすぐに山に遊びに入って、落ちてる草や石やなんかの実をおままごとに使った。
兄弟とその友達と一緒に遊びに行くのが好きだった。兄弟達は野球をやっていたけど、私は山の絶壁を楽しんだし、地面の拾物にいそしんでた。
自販機の広告のところに大量に虫の死骸が入っているのを怖いもの見たさで見ないけどみるっていうのもいつもやってた。
野球でボールがフェンスの向こうに行っちゃうのも何回もやって、取れそうな時はとるけどダメなら諦めるとか。
子どもしかは通れないようなフェンスの間を通ってショートカットしたりとか。
でも虫は苦手。蜘蛛も幼虫も毛虫もクワガタとか良くわかんないうねうねしたのも。アリとダンゴムシとてんとう虫は平気だった。
虫は苦手だけど山は好きだった。
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山だけじゃなく、家の周辺にあった商店街も遊び場だった。
一個だけ無料でくれるミニ肉まん屋さんに友達と何度も行った。親がいる時はたくさん買ってくれた。あれをもう一度食べたい。
プールに行く時、自転車を走らせてて基本猛スピード。スピードが出てても操れるのが快感だったんだと思う。
人の多い商店街でそれをやっていて、一度だけ自転車のハンドルの端が歩行者の男性の手に当たって。大声で痛いと叫んでるのを後ろに聞いたのが恐怖だった。普通に止まらず逃げたのが思い出。ごめんなさい
鼻づまりがひどくて、空気ってどんな味だっけ?と耳鼻科帰りに空を見上げたのを覚えてる。
車の駐車場の奥の奥、私たちだけの秘密基地があった。建物と建物の間でひっそりおままごとをしていた。
落ちていたスプーンのゴミやよく分からない鉄屑などを使ってた。
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今思うとふつうに汚いゴミで遊んでた。
山で保護者もいなくて子どもだけで危ない事してた。
でも止める人誰もいなくて、それが私は今でも思い出なくらい楽しかった。自分だけの世界で自然の中で数人の友達とすごしたあの時間はとっても楽しかった。
山田玲司さんのを見て、精神性が幼稚なJ-popに惹かれない理由がわかった気がした。
私はもっぱら洋楽、クラシック、アニソンでJ-popをくだらないものとして見ていたと思う。
アニソンは芯のある熱いアニメのアニソンだから、魂こもってると思ってたのとオタク心からだから別枠だけど。
とはいえ、80年代の懐メロは大好きで今すごく聞いてる。リズムやメロディが好きなのと、歌詞から時代を感じられるから。
母親が私の聞いていたアニソンの歌詞に、直接的すぎてダサいと言ったことがあったんだけどそれの意味がわからなかった。
今はわかる。日本人の民族性である深みやら含みのことを言っていたんだと。
私はそれが短歌、俳句、唄、詩だと思い至ってる。懐メロにはそれがあるけど90年以降は希薄になったと感じてる。
それを母親に言ったらわかって凄い、自分はわからないと言ってくれたので、母親は無意識にその深みを好んでいたのだと気づいた。
意外とそれを言葉で理解している人は少ないようなので、日本人の民族性なんだろうなと思い、そこが愛おしいなと感じる。
完全に民族としてのパーソナリティだろ!
よろこび
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だから、漫画やアニメが流行る。
漢とかいておとこと読む。みたいな、読ませるのも深みじゃないかな?
侘び寂びに想いを馳せることも同じ。
物事に対して深みを感じたり含みを思い描くのは、私にとっては楽しいことなんだけどな